松の話
松の種類は世界に約100。日本にはそのうちの8種類(※)があります。 日本の松の歴史は縄文時代にまでさかのぼり、当時はアカマツが瀬戸内海に生育していました。 その後、弥生時代から古墳時代にかけては近畿地方を中心に拡大。 全国にアカマツが広く植えられるようになったのは、室町時代から江戸時代にかけてのことでした。 以来、海岸線の松は防風や防砂に、河川ぞいの松は土石流失防止に役立ってきました。 また、水気の多い地盤の基礎や造船などの機材資源として、あるいは燃料用材などとして生活に貢献してきました。 何よりも松のある風景は、私たち日本人の心の原風景とも言われるものとなっています。
- 日本の松(※)
- 葉の数が2枚のものを二葉松、5枚のものを五葉松
- 二葉松:アカマツ、クロマツ、リュウキュウマツ
- 五葉松:ハイマツ、ゴヨウマツ、チョウセンゴヨウ、アマミゴヨウ、ヒメコマツ
松枯れはいつから
北海道と青森を除く45都道府県で起こっている激しい松枯れが日本ではじめて報告されたのは大正2年山林公報の「長崎県下松枯死原因調査」だと言われています。
明治38年から39年にかけて長崎市内で数百本のマツがまとまって枯れる被害があり、枯れる時期は9月から1月までで、10月に集中している、葉が萎れはじめて1ヶ月以内に急激に真っ赤になる、など、現在の激害型マツ枯れとまったく同じです。
その後、瀬戸内を中心に九州各県や西日本各地で同様の被害の発生が報告されています。
昭和7年以降は松枯れの被害量についての正確な記録が残されるようになり(右図)、
昭和23年には124万立方メートル(※)というかつてない規模にまで拡大。
昭和25年「森林病害虫防除法」が成立し、枯れ木を伐って焼くことを徹底するなどの対策で、昭和30年頃にはかなり軽減されました。
しかし、昭和46年ごろから被害は再度拡大。こうした被害を受けて、その原因と対策の研究も進められていったわけです。
松枯れの原因
昭和43年?46年、松枯れの原因を探るために農林省特別研究が実施され、国立林業試験場(現森林総合研究所)を中心に昆虫、樹病、菌類、樹木生理、土壌、気象、科学などの研究者によってプロジェクトチームが発足し、なぜ夏に松枯れが起きるかという調査、研究を行いました。松枯れの特徴は、樹脂(松ヤニ)が出なくなる初期病状に始まって、葉の蒸散機能が止まり、急速に水分が失われ、1ヶ月足らずで葉が真っ赤になって枯れてしまうことです。そこで、その原因が水分を通す機能の障害にあると考えられました。被害木を調査したところ、長さ1mmほどの無数の線虫が発見され、この線虫が松枯れの犯人とわかったのです。その線虫は「マツノザイセンチュウ」と名づけられ、現在では松枯れを起こす松の大敵として知られています。
しかし、この「マツノザイセンチュウ」そのものでは、他の松への移動ができません。必ず移動を手助けしていたのが「マツノマダラカミキリ」でした。「マツノマダラカミキリ」は従来から害虫として知られていましたが、100年位前に日本に来た「マツノザイセンチュウ」と出会い、両者が互いに利用しあう緻密な関係を持ったのです。
「マツノザイセンチュウ」は、「マツノマダラカミキリ」によって松から松への移動が可能となり、
「マツノザイセンチュウ」によって枯れた松は、「マツノマダラカミキリ」にとって卵を産み幼虫が育つための最適な環境となったのです。